2014年8月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
このコラムに関するご意見、ご感想をお寄せください。
 
 
 
 ★エボラ出血熱に学ぶ日本の感染症対策
   

 アフリカでエボラ出血熱の感染が拡大しているが、かつて日本でもアフリカから帰国した会社員が出血性感染症で死亡し、エボラ 出血熱の感染を疑われた事件があった。輸入感染症に対する対策強化という観点から報じた22年前の小紙記事167号(1993年1月15日=写真) から振り返ってみたい。

画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

 死亡した男性は1992年9月12日に成田を立ち20日に帰国している。15日から17日にかけてアフリカ中央部のザイール共和国に滞在したが、滞在中にサルに引っ掛かれており、 これが感染原因ではないかとみられている。帰国して10日後の10月1日、突然発熱し、頭痛、悪寒、発疹を訴えて近くの医院を訪れ、一時回復に向かったものの、同月6日に 症状が悪化し収容された千葉市内の病院で死亡した。死亡時、皮下に点状出血がみられ、病理解剖の結果、肝臓壊死、脾腫、消化管出血が確認された。また、エボラ出血熱 ウイルスの抗体価が軽度上昇していたことから、同月13日に千葉県から厚生省(当時)へ報告された。
 患者の血清は米国CDC(防疫センター)へ送られたが、ウイルス遺伝子、ウイルス分離、抗体検査などすべて陰性で血清による確定診断はついに獲られなかった。また、 同行者および接触者についても同様の結果で、二次感染は認められないままエボラ出血熱の潜伏期間を過ぎたため幸いにもこの件は収束した。

 当時の厚生省保険医療局結核・感染症対策室の担当者は小紙の取材に対して「今回のケースについては二次感染もなく米国CDCでの検査結果でもエボラ出血熱であるという 確定診断は獲られなかった。しかしながら臨床経過および症状からはなんらかのウイルス性出血熱であったことが疑われる とし、「今後、国内でこのような場合、速やかに対応がとれるよう現在検討を行っている」と答えている。当時、千葉県からの報告を受けた厚生省は国際伝染病委員会を開き、 ウイルス性出血熱防疫対策実施要項の整備に着手したという経緯がある。

 ウイルス性出血熱であるエボラ出血熱が最初に発見されたのは1976年6月27日、アフリカ・スーダン南方のヌザラという町であった。綿工場の倉庫番をしていた男性が発病し 、10日後に死亡した。2人目の犠牲者も同じく倉庫番をしていた男性で入院後2日目に死亡、その妻も続いて発病し死亡している。エボラと言う名前は、初めてウイルスが分離 された患者の出身地の川の名前である。エボラ出血熱の病原体は、フィロウイルス科であるエボラウイルスの感染源は血液、吐物、尿などの体液とされ、発症は突発的で重篤 なインフルエンザに似ており、発熱と頭痛、次いで腹痛、咽頭痛、さらに吐血、消化管出血が見られ死亡率はきわめて高い。

 22年前のこの事例は、海を隔てた日本にもこの種のウイルスが侵入してくる確立が非常に高いことを示唆している。今まさにアフリカで感染が拡大しているエボラ出血熱は 決して対岸の火事ではない。こうした感染症に対する防御対策というと、治療薬や予防ワクチン開発が注目されがちであるが、これには時間も費用もかかる。医薬品開発に 平行して重要なのは、感染症を最小限に食い止めるために不可欠な空港などの水際防疫対策の強化と、対象国に対する国際的な支援の充実、感染源に対する知識と感染を広げ ないための知恵を一般国民に正確に伝える努力を国が継続することであろう。



 
 
今月のコラム【待合室】へ戻る

 



医療新報MENUへ戻る