2015年3月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★玉石混交の健康情報

 日常的に食卓に上がっていた食品が忽然とスーパーの棚から姿を消した。いくつもの店舗を探したがどこも売り切れで、販売元にも在庫 が無いらしく「しばらく入荷は期待できない」と申し訳なさそうに店員が言う。そう、もうおわかりの読者も多いことだろう。その食品が健康に良い らしいとテレビ番組で紹介された直後だったのである。こうした現象は健康志向が強くなった数年ほど前からたびたび起こっていて最近では枚挙に 暇がない。

 健康に注意を払うことは良いことであるが、本当にその情報が自分の体に合っているかどうかはまた別の問題である。紹介される商品をよく調べてみると、多く が単に有効成分とされる物質の含有量を謳っていて、その成分が体内に取り込まれた後の代謝過程を信頼できる形ではっきり示しているものは皆無である。公的な データを示していても、その商品を直接検査対象としたものではない。効果についても客観的な検証がされているのではなく、せいぜい有名人が愛用しているとか 個人的な感想を紹介する程度で、当然のことながら個人の感想や一般論の粋を出るものではない。

 それなのに中には驚くほど高価な商品に作り上げられていたり、希少商品として宣伝されたりすることが多いことから推察すると、やはり商業ベースに乗せられた 宣伝広告ということに落ち着く。実際、冒頭の日常食品についてはしばらくするとどの店に行っても簡単に手に入るようになるのである。品切れの原因は消費者の 購買熱が一時的に過熱した現象に過ぎない。まるで1973年に起きたオイルショックのときのトイレットペーパー騒動のようだ。

 こうしたことが起こる背景には一体何があるのだろうか。考えられることは大きく三つあると思う。[1]高齢化が進んだことで比較的高視聴率のとれる健康番組を 新聞やテレビ局が頻繁に報じるようになったこと。[2]一方で、視聴者側には「漠然とした形での健康不安」という心理が潜在的に存在していて、テレビ番組などが この心理を刺激していること。[3]さらに一般視聴者に「専門的な判断知識の不足」というものが根底に存在していて、そこに目をつけた巧みな販売戦略が功を奏した 結果と考えられる。

 誤解のないようはっきり示しておくが、健康に注意を払うことは大いに良いことで、健康管理はむしろ個人の責任である。この点であらゆる角度から国民に健康 情報を伝えているメディアの責任は重い。健康でありたいという想いと正しい知識が日々の生活習慣を律していくからだ。この情報過多な時代に今一度自分の体に ついて学び、自らの健康にある程度責任を持つべきだろう。安易な情報の鵜呑みは厳に慎まねばならない。これは膨張し続ける日本の国民医療費を真の姿に戻すため にも医療関係者が真剣に考えなければならないことでもある。目にした健康情報を自分の体に合わせて選択するという冷静な判断が、これからの時代を生きていく ために必要ではないだろうか。食事も情報もやはり偏らないバランス感覚が必須なのだ。

 
 
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