2009年10月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★「ぼくは患者を『言葉』で抱きしめる医者でありたい」
   
 表題のような“名セリフ”を当然のように口にし、日々それを実行している開業医の存在を知った時は感動を覚えずにはおれ なかった。その医師、笠原望氏は四万十川(高知)のほとりの診療所で多忙な診療生活を送っている。

 ところが皮肉にも、こうした医師の存在を知ると同時に、それから最も遠いところにある風景も知らされてしまった。医師を養成する 大学で、問診訓練が“患者ロボット”を相手に臆面もなく実施されていたのである。


 勿論トレーニング相手がロボットでも構わないものがある。心肺停止した人に対する心臓マッサージなどその例であろう。AED(心臓蘇生の救命機器)が 普及しても、生身の人間を相手に生身の人間が施す治療に変りはない。だから“実戦”を前に心臓マッサージのなんたるかの手ごたえを体得することは大事な ことで、そのための訓練相手は人形つまりロボットでも支障はあるまい。だが、問診となると話しは別だ。ロボットと対話したところで、それがなんの訓練になる というのだろうか。両者(問診と心臓マッサージ)の差に教官も学生も敏感に反応して欲しいと思う。ところで、「なぜロボット相手なのか」と聞くと、「学生の 中には人との対話が得意でない者もいることだし…」という答えが返ってくるというから驚くばかりである。

 こうしたロボット相手の訓練では人間としての患者に向き合う情況は存在しない。いきおい、患者の訴えに耳をかそうともせず、患者の顔もみないで数値に 頼ってしまう医師が巣立っていくのか、と想像したくもなってくる。


 合理的な「痩せ」をめざすなら、まだ救われもするが、調査報告にもあるように、朝食を抜くという場当たり的な対処の仕方は危険である。それに加えるに、 こんな調査結果もあるのだ。厚労省研究班によって発表されたものだが、20代前半の女性の飲酒率が男性を上回り、多量飲酒率も20代前半の女性が上昇して いるというのだ。
かつて脳梗塞で闘病生活を送っていた人の痛切な“声”を読んだことがある。それによると、この人は、自分を含めた3事例をあげ、「それに共通している のは『心=脳』という考えをベースに医師が画像診断に頼りすぎてミスを犯していると思われる」とし、「医師は機械に眼を奪われて『人間』を見ていないの ではないか」と言い、「大切なのは、脳医学は生命の不思議さの入り口に立っているにすぎない、という謙虚さではないか」(朝日新聞「私の視点」欄)という。 脳医学だけではなく、医療全般への鋭い指摘と受け止めたい。

 これは実は、科学万能医療への反省の一端でもあるのだ。医療はなによりも人の命の問題であるだけに、古くから神のご託宣、占い、あるいは迷信といったもの にとらわれてきた。ところが、その反省の振り子が大きすぎて科学的根拠にもとづく医療に行き過ぎが出てきてしまった。そしてついには、言うなれば問診を ロボット相手にトレーニングしても何の違和感もないところまできてしまったのではないか…。


 帯津良一氏は「科学が発達したといっても、人の体はわからないことだらけ」と言った(朝日新聞)。不妊症はなぜ増えるのか、という問題をめぐって国立 生育医療センターの斎藤英和氏は「科学の力に頼りすぎるよりも妊娠に最適な時期に子どもをつくれる社会、経済、環境の整備と、早めに人生設計を考えさせる 教育こそ必要」と指摘する(日経新聞)。

 折りしも、日本医師会は「開業医認定制」の来春導入を9月末に発表した。開業医の診療能力を底上げして、患者の開業医離れをくいとめるのが狙いというが、 患者を「言葉で抱きしめる」人間味溢れた問診や診療を展開する四万十川のあの笠原医師がいまさらのように思われてならない。

 
 
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